人間失格(気くばりのすすめ)

はじめに
第一話 いつものつくば号
第二話 7月16日のつくば号
第三話 7月28日のつくば号
第四話 だんだんと悪質に・・・
第五話 最近の凶悪事件に思うこと
第六話 女性2人
第七話 最悪の状況になってきた
第八話 一人の黒人
             続く
 

はじめに
人間失格(きくばりのすすめ) 第一話はじめに
本シリーズは内容を読んでもらえばわかりますが、,完結しません。テーマは「人間失格」となっていますが「人間合格」というのを、並行してアップしていくかも知れません。多くの方のご意見をお待ちしています。

第一話 いつものつくば号
第一話 いつものつくば号
 6月から横浜に転勤になったので、常磐高速バス、つくば号を使う機会が多くなった。常磐高速バスは快適である。確実に座れるし、バスの停留所も便利なところにある。それに運転手さんが親切である。出発直後に丁寧なアナウンスが流れてくる。なかにはホテルの案内係だったのではないかと思える人とか、多少、茨城弁が交じった人もいる。でも運転手さんの気持ちは伝わってくる。快適なバスなのである。でも、ちょっと気になることがある。 順番を待ってバスに乗ると窓際が一杯のときがある。大半の人が通路側の席に荷物おいて横に座れないようにしている(ように見える)。これは東京駅から乗っても筑波から乗っても同じ現象である。後から乗ってきた人が申しわけなさそうに「空いていますか」と言うと不満そうな顔をして荷物をひざの上に乗せる。最初からひざの上に荷物を置いて、「空いていますか?]と聞かれたら「どうぞ」と言った方がよっぽど気持ちいいと思うのだが。以前、東京駅から乗ったときに荷物を通路側の席においた若い女性がいたが、そこしか空いていないので「空いていますか?」と、聞いたら「荷物があります。」との返事が帰ってきた。心の中で「あんた、二人分の料金を払ったんけ」と言いたいところ、じっとこらえた。バスの運転手さんも時々アナウンスしている。「バスが混んできたので、となりの席においた荷物はひざの上か、網棚に乗せてください」と。笑顔で「網棚に上げましょうか」と言ったら自分でいやいや上げていた。要は自分させ良ければ他人はどうでも良いのである。このような人に聞きたい。生きていて何が楽しい?

第二話 7月16日のつくば号
 7月16日(金)つくばセンター発、竹園2丁目6時38分、東京行き常磐高速バス、メガライナー。メガライナーは全長15m、2階立ての85人乗りの大型バスである。日本ではこの路線しか走っていないとのことである。並木二丁目から若い奥さんと子供三人が乗り込んできた。家族は2階に上がってきた。座席の窓際は一杯で、通路側の席しか空いていない。「あら,通路側の席しか空いていないわね。」、結局、通路をはさんで、隣どうしにすわったようである。このこどもがさわがしい。朝、6時半過ぎのバスであるから、朝早くからの通勤で眠っている人も多い。その子供は通路を行ったりきたり。空きになったペットボトルで座席の通路側についている、てすりを後ろの席から、順番にポコポコと音を立てて歩き回っているのである。このてすりの方に頭をやって寝ている人もいる。うるさかっただろう。あげくのはてに「パパ!!」に電話である。とにかくうるさいのである。親が思いやりとか気を使う気持ちとかを教えていないのか。なぜ、親は子供を注意しないのだろう。デジカメが持っていたらこの親子の写真をアップしたいところだが。
 単純に考えれば単なるバカな親ってことになるのだが、もっと根が深いかも知れない。この親がきくばりとか思いやりということを教えられていないのかもしれない。つくば市には多くの研究者が住んでいることは、どこかで紹介したが研究者は当然、高学歴で一般社会と隔絶した中で受験勉強をやってきた。だからマナーとかルールがわからないのではないかと勝手に思っている。当然、奥さんも高学歴だろう。このように考えると「うちのパパは偉いんだ。このバスに乗っている人とは違う」とのおごりがあるのかな?」。こうなると事態は深刻である。1億総白痴時代の再到来である。最近、早稲田大学の植草教授が手鏡のぞきでつかまった。つい最近までテレビでえらそうなこと言っていたけど。えらい人って所詮、こんな程度なのだろうか。
 親が気がつかない可能性は十分にある。これは私の場合である。うちのこどもに注意された。家族で食事をしているときに「前から言おうと思っていたことだけど、食事中に鼻をかむのはやめてよ。」と別に弁解しない。納得である。社会的に見て正しい。このようなことはママが教えたわけではない。どこかでおぼえてきたのだろう。うちのこどもは私よりもきくばりについてはうるさい。中学校2年生だが、でもちょっと危ない。車で一緒にドライブしていて、前か横の車の窓から、たばこが捨てられるの見ると「パパ、あの車の横に付けて窓あけてよ」、「どうした!!」、「ばかやろう!!と言うから」。うちのこどもはえらい、と言っているわけではない、普通の常識を持っている。普通以上かも。ちょっとうるさいが。

第三話 7月28日のつくば号
 また、である。何でこんな人間が多いのだろう。7月28日 6:00つくばセンター発常磐高速バス東京行きの出来事である 若い奥さんが2人と、小学校1年生くらいの女の子と男の子が乗ってきた。夏休みなのでディズニーランドにでもいくのだろう。朝の6時のバスで東京へ出勤している人が多く乗っているバスである。おそらくバスの中で睡眠時間を補っている人も多くいるだろう。この女の子と男の子が、朝の高速バスの中でうるさいのである。母親が注意しているようでもなく一緒になって笑っている。母親は叱ることを知らないのか、バスの中で大きな声で騒いでも良いと思っているのか、常識がないのかは、よくわからない。いずれにしても、このように母親と子供のように、自分さえ良ければ良いとの考えている人が多い今の社会が、結果として小学生が殺人を起こしたりする土壌を作っているように思える。
殺人事件を起こした小学生には、人に対するやさしさとか、思いやりとかを学ぶ機会がなかったのかも知れない。親からだけではなく社会からも。問題は親も社会も教えることは教えていない、と、いうか、親もそのような教育を受けていないかも知れない。受験戦争で勝ち残ってきたのだから。人を蹴落とす教育は受けてきても。親も悪いが他人を蹴落としてまで人の上に立つといった弱肉強食の社会に根本的な病巣があるように思える。起こるべくして起こったような気がする。でもこのことは誰でも薄々、気が付いているように思える。
「自分だけ良ければ他人はどうでも良い」が今の社会の風潮のように思えるが、それでも意識してもっとやさしい社会にしていかなくてはいけないと思うが。
第四話 だんだんと悪質に・・・
9月14日、20時ころの東京発つくばセンター行きバス。いつもとちょっと状況が変わってきた。今までは窓際に座って通路側の席に荷物を置いている人が多くいたが、この日は少し違った。多くの人が通路側に座っていて、窓際の席に荷物を置いているのである。これは、窓際に座って通路側に荷物を置いている場合よりも、もっとすわりにくい。やはり、なるべく座らせないようにしているように見える。通路側に座るのは、ちょっとした理由もある。本を読むときに窓際だと暗いので読みにくい。読書灯もあるのだが暗い。また、運転席側のスイッチが入っていないときがあって点灯しない場合もある。良心的に考えれば、本を読みたいのだろう、と思ってもいた。
しかしである。出発して5分もしないうちに、通路側の多くの人は寝ているのである。「最近は窓際に座って通路側に荷物を置く人が減って、通路側側の座って窓際に荷物を置く人が増えてきた」とうちのママに話したら、「知能犯」だね、との答えが帰ってきた。
「何が知能犯だ、自分勝手で他人はどうでも良いと思っているアホにしか私には見えない」のだが。

第五話 最近の凶悪事件に思うこと
 今日のニュースで宅間死刑囚の死刑が執行されたとのニュースが流れていた。判決から異例に早い執行だとか。遺族の方が「犯人は死んでそれで終わりだけど、私たちはこれから、生きている間、この苦しみを背負って行かなければならない」と。遺族の方は犯人を殺したいと思うのは普通だし、でも死刑が執行されても、納得いかない気持ちもよくわかる。遺族の悲しい、そして苦しい気持ちを全部集めて、一生、その分の苦しみを味合わせるような刑罰がないものだろうかと思ってしまう。そうしないと遺族の気持ちも納得できないだろう。
宅間死刑囚は、遺族へのおわびの発言が結局は一言もなかったとか、「生まれて来なければ子供たちを殺さずに済んだ」と発言していた。じゃ「生まれてくるなよ!!」と言いたいところだが、これはむずかしい。「生きていることがいやなら他人に迷惑をかけずに人知れずどこかに消えろよ。」と言いたい。
 別のニュースで栃木県小山市で子供が2人殺されて、橋の上から川に投げ込まれた。弟は見つかったが、お兄ちゃんの方は見つからず、100人態勢で探すとか。むちゃくちゃな話である。
世の中、一体どうなっているのだろう!!
このような事件があるたびに思う。この犯人もこれから長い間、裁判を受けて判決を待つことになるのだろう。はっきり言って、この間にかかるお金がもったいない。凶悪事件を起こした人間の再犯率は6割とか、7割と言っていた。この犯人が死刑にならなかった場合、出所後、また犠牲者が出る可能性が高い。だったら、早く死刑の判決を出し、早く執行すべきである。そうすることで、世の中が多少、平和になる。また、死刑囚を食べさせてやる分の食費を、リストラにあって住むところがなくて墨田川の土手で、テント生活をしている多くの人に援助したらどうかと思う。私は凶悪な犯罪者の食事代のための税金を払いたくないのだが。ひとつ提案であるが、刑務所で家賃と食事代を徴収するのはどうであろうか。返済は刑務所の中で働いて稼いだ分とか、出所後、ローンで返済するとか。
世の中には子供を殺したり、年寄りからお金をだまし取ったりする悪質な輩が多くいる。このような輩は宗教や生い立ちがどうであれ、世の中から早い時期に抹殺すべきである。日本と世界の平和のために。 でもこの温床は、今まで書いてきているように、殺伐とした社会、弱肉強食で弱いものは潰される、といった現代社会にも大きな要因があることはあきらかである。

第六話 女性2人
9月16日(水)6時30分、東京行きの高速バスである。今日は、2本早いバスに乗車した。今日はわりと礼儀正しいというか、常識のある人が多い感じである。私の前に並んでいた人が通路側の席に座るときに「空いていますか」と聞くと「どうぞ」との答えがあった。私も通路側の席に座ったが、会釈してすわると、となりの人も会釈してくれた。このような状況が1日の始まりであれば、気持ちの良いものである。
つくば市の最後のバス停留所では、ひさしびりにほぼ満員になった。空いているところは、どこかと見渡して見ると私の前と二つ前の窓際に空きがある。通路側に座っているのはいずれも女性である。
 私の前は20代の女性である。私が乗車したとき、通路側の席で化粧をしていた。女性が化粧しているところで、窓際の席にはすわりにくいものである。新手である。ふと思うのだが気持ちがやさしいとか、きくばりのできる女性は見た感じとか表情でわかるような気がする。表情が素直な感じである。その結果、美人であったり、かわいかったりするのだろう。それに比べてこのバスに乗っている女性は、一見、着飾って小ぎれいにはしているが・・・・・。このような女性と付き合う男は不幸になるであろうし、結果的には自分も不幸になるだろう。はやく、きくばりとか、やさしさとかの気持ちを分かってくれるように願うばかりでる。そうすることで彼女たちに、より幸せが訪れるだろう。

第七話 最悪の状況になってきた
 9月18日(金)6時50分、東京行きの高速バスである。だんだんひどくなってきた。今日もいつもの竹園二丁目からバスに乗ったが、二人掛けの席に全席、一人が座っている状況である。何がひどいかというと、約、半分の人が通路側に座って、窓際に荷物をおいているのである。でもこの前のように女性ではなく、全員、男性である。後から乗ってくる人を観察していると、通路側が空いている席から順に座っていく。通路側が一杯になると窓際が空いているところで声をかけて座る。このとき通路側にいた人が窓際に移動する。「通路側が好きなんじゃないのか!!。窓際に移るのであれば最初から窓際に座れ、通路側に荷物をおかずに!!」と言いたい。相変わらず、自分だけ良ければそれで良いのである。この比率が今日のバスでは5割以上である。この親は子供にもそのいうな教育をしているのだろう。以前にも書いたが、いろいろな事件が起こるたびに思うのは親も悪いが、受験戦争に代表されるように自分さえ良ければよい社会も悪いと書いたが、単純に考えると、今日のバスでは半分の人が、悪い社会を作っていることになる。
人間として恥ずかしくないのだろうか?。おそらく恥ずかしいとかの感覚はないのだろう。なぜなら会社の中でもあいさつをしないのが普通で、「あいさつ運動」なるものを起こさなくてはならない社会である。これも以前、書いたが、最近、起こる子供の凶悪事件は、このような親に育てられた子供だと想像する。このような人に言っても理解できないだろうが、意識してでも「人間としての恥を知れ!!」。(う〜ん、難しい!!)世の中、アホばっかりが目に付く今日、この頃である。通路側に座っている人、ご意見をください。

第八話 一人の黒人
一人の黒人  9月22日(水)6時50分、東京行きの高速バスである。いつものバスである。バスの中はわりと静かで寝ている人もあれば、本を読んでいる人もいる。高速道路に乗ってしばらくすると、いびきが聞こえてくる場合もある。でも車の音と風切り音の方が大きくてたいして気にならない。このようなバスであるが、いろいろなドラマがある。
 今日は前の席の通路側にキチンとした身なりの黒人が座っている。国連のアナン事務総長を若くしたような。窓側の席はいつも風景で荷物が置いてある。これは、まあいいのだが(最近は慣れてきた)、両方の席のリクライニングシートがいっぱいまで倒している。私は窓際に座っているが前が狭いのである。窓際の席は荷物が置いてあるだけなので倒さなくても良いと思うのだが。
 でもこの状況は一概に、この黒人に気くばりがないとは言えない。なぜかというと外国には気くばりということが存在しないかもしれない。権利と義務と主張というドライな世界かもしれない。今のアメリカなんかを見ていると、そのような気がする。要するに日本以上に弱肉強食の世界である。人の気持ちとかはわからないのではないか。わかる文化も存在しないのでは。口に出して言わない限りは。だからこの黒人にとっては当たり前の行動だろうとも思える。
 その割りにはレディファーストというのがある。これは精神の問題ではなくルールに近いのだろう。ゴルフで「ジーンズはだめ。高貴なスポーツなので」のように。何でも良いのでは。そんなルールは無くして家族で楽しめるようなスポーツにした方がよっぽど良いような気がする。ゴルフのルールはおもしろい。日本人が普通に考える気くばりがそのまま、ルールになっている部分も多い。アメリカは精神をルール化していくことで、ますます人の気持ちがわかるようなところから離れていく。
 でも日本に来ているのだから、日本の良いところとして気くばりの精神を学んでほしいものである。一方、日本人が外国に行ったときは、日本人特有の遠慮や気くばりはやめた方が良いかも知れない。おそらく理解されない、はっきり口で主張しないと。結果として損をする。このように考えると今までバスの状況も、アメリカだと思えば理解できないこともない。ますます、ドライな社会になっていくと思われるが、日本人の心は今後も継承していくべきである。

                                続く
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