五体不満足でも幸せだったチーコ

はじめに
1.自己紹介
2.交通事故
3.四輪くるまいす
4.おむつ
5.おはよう
6.おかえり
7.ひがのや
8.毎日の散歩
9.友達のしろ
10.夏の夕涼み
11.どうほう公園
12.骨肉腫
13.床擦れ
14.肺ガンから永遠に

 

はじめに
 7月6日は愛犬チーコの命日である。チーコは体重が30Kg以上もあるコリー犬であった。公園で散歩中に侵入してきた車にはねられ脊髄を損傷した。これが原因で下半身不随となった。それでもママの作った手製のくるまいすで元気に走り回っていた。くるまいすをがらがら音を立てながら走り回っているチーコは、家の横にある駄菓子屋、ひがのやにあそびに来る近所のおばさんたち、小中学生の人気者であった。最後は骨肉種で前足を切断し、最後は肺がんで亡くなった。チーコの姿を見て私自身ずいぶん励まされた。チーコと接した多くの人の励ましになったと思う。チーコも多くの人たちに愛され幸せな一生を送った。
 今、人の心はノコギリの刃のようである。それも年々研ぎすまされていく。触ると怪我をするような社会だ。でも人って本当はやさしい!!。怪我をするような社会ではなく真綿に包まれたような暖かい社会にしたい!!。体が不自由でも精一杯、生きたチーコのように元気に力強く生きていこうよ。
元気なころのチーコ

第一話 自己紹介
第一話 自己紹介
 私とチーコとの出会いは結婚した後であった。1988年、昭和63年でソウルオリンピックの開催やドラクエ3が発売された年である。このときママの飼っていた犬がチーコであった。すでに下半身不随の状態であった。チーコのことは結婚する前から多少は知っていた。チーコの方もすぐに受け入れてくれたようである。チーコは感情豊かな犬であった。うれしいときも悲しいときもそれを訴えようとよく鳴いた。普通、犬はしっぽを振ってうれしいことを表現する。今、飼っているモグもそうである。Gomaはしっぽは振らないがうれしいと飛びついてじゃれてくる。チーコもうれしいときにはしっぽを振っていたのかもしれない。でもしっぽは動かない。一緒に遊びたかっただろう。家の中でふとんの上に横たわっていても前足だけバタバタさせていた。その結果、1回転してしまうこともよくあった。この頃は結構よくじゃれた。若くて遊び盛りの時期だったのかも知れない。チーコは純粋のコリー犬だ。だから相当大きい。体長1メートル、体重も30Kg以上はあったと思う。チーコは実は雄犬だった。なぜチーコと呼んでいたのかはよくわからない。本名は知らない。いつの頃かチーコと呼んでいた。チーコの世話の大半をママがしていた。私は散歩係で週末の休みにはチーコを連れてよく散歩したものである。世話をするにも何しろ重いので大変なのである。ママが腰が痛いとか腕が痛いとか、よく言っていたように思う。これを見かねて、近所の人からも「保健所に持って行ったら!!」との声もよく聞こえてきた。チーコの姿を見ているととてもそのようなことは考えられなかった。ママと私にとって最初の子供だったと思っている。それも一番、手のかかる子供だった。

第二話 交通事故
 私の住んでいるところは茨城県つくば市、筑波研究学園都市で有名なところである。北にはがまの油売りで有名な筑波山がある。筑波研究学園都市は1963年に閣議決定され、1980年に予定していた研究機関の移転が完了した。1985年には筑波万博が開催された。筑波研究学園都市は人工的に造られた街である。現在は大半が独立行政法人になったが、多くの国立系の研究所が集まっている。現在、研究者は2万人弱。10人いたら2人は研究者である。「犬もあるけば研究者に当たる」のである。外国からの研究者や研修に来ている人も多い。筑波研究学園都市には東大通り(ひがしおおどおり)と西大通り(にしおおどおり)というおおきな通りが平行して走り、それを挟んで多くの研究所がある。中心街では片側4車線、両側には5メートルくらいの植木を植えた歩道がある。「日本の道百選」にも選ばれている。公園も多数ある。最大の公園が洞峰(どうほう)公園である。この中には1年中泳げる50メートルの温水プール、テニスコート、野球のグランド、体育館等がある。真ん中には大きな池があり鯉が一杯いる。この前の鯉ヘルペスで死んだという話は聞いたことがないので、まだ多数いるはずである。
 この洞峰公園からチーコの長い物語りが始まる。1987年の秋、イチョウの葉が黄色くなり、散歩にきた人がギンナンを拾っている風景が見られる頃、ママ(このときはまだそうではなかったが)がチーコを連れて散歩をしていた。池の回りには晩秋が漂っている。多くの人が散歩している。こども連れの家族、仲良く池のほとりで愛を語り合っている二人。のどかで平和な風景である。池の回りを一周している道を中心に四方八方からこの道につながる細い道がある。事故はこの交差する道で起きた。池の回りを散歩中、細い道から突然、軽四トラックが出てきた。これにチーコがぶつかった。見たときはそんなに激しくぶつかったわけでもないので大したことはないと見えた。外傷もなかった。でも立てなくなってしまった。立とうともがいているが立てないのである。軽四の荷台に乗せて自分の車まで運んだ。そのまま獣医に連れて行った。診断の結果は脊髄を損傷しているとか。「切れているのなら繋ぐ手術をお願いします。」とお願いしたが「人間の手術でもそこまではできていない。」とこと。止む無く家に連れて帰ってふとんの上に寝かせた。チーコは下半身付随になったが至って元気である。自由には動けなくなったが、前足だけで動くものだから、ふとんの上をぐるぐる回ってしまうのである。体が向こうを向いていて、振り返ってワンワン鳴いているときは、なんだか笑えた。「お前、どっち向いてねん」
第三話 四輪くるまいす
 脊髄損傷で下半身付随になったけれどチーコはいたって元気である。これを見ていたママは車いすを作ろうと思った。車いすは下半身を支えるために、箱に車輪を付けたものである。この頃、やはり交通事故で下半身付随になった中型犬が二輪の車いすで元気に生きている犬の姿を書いた本がベストセラーとなっていた。チーコの場合は最初から四輪で発想した。二輪ではとても支え切れない。最初はホームセンターに行って木と直径3cmくらいの車輪を買ってきた。これで車いすを作った。かくして四輪くるまいすのデビューである。ところが少しだけは持つのであるがすぐに壊れる。耐久性に問題があった。接合部に相当の負荷がかかる。それはそうである。久しぶりに外を歩けるようになったので外をはしゃぎまわるものだから。車いすの音が聞こえなくなったと思ったら、バラバラになった車いすと、チーコが前足で頭を上げてワンワン鳴いているのである。
 バージョン2の製作にとりかかる。土台の部分は太い木で座る部分は直径3cm程度のアルミパイプに変えた。接合部分は専用の金具があり、しっかり固定した。これで耐久性も向上した。でも別の問題が発生した。車輪の直径が3cm程度と小さかったために、ちょっとした石ころにも引っ掛かって進めなくなるのである。散歩に行くと後ろをガラガラ音を立てて付いて来るのだが、音がしなくなったと思って後ろを向くと後方で止まっているのである。5cmくらいの石ころに引っ掛かって。
 バージョン3の製作にとりかかる。車輪の直径を15cm程度と大きなものにした。この車輪はおばあさんが押して歩いているシルバーカーの車輪である。これでほぼ完成した。まだ少し問題があったが、これは後の文章で触れる。
 かくして寝たきりだったチーコは外を自由に歩けるようになった。このときはよほどうれしかっただろう。庭中走り回っておおさわぎであった。
(写真はバージョン3。前からでよく見えないがアルミパイプが見える。)
4輪車イスのチーコ

第四話 おむつ
 車いすで元気に走り回っているチーコを日常的に見ることができた。大した問題でもなかったが下半身付随になったものだから、オシッコとウンチの世話もしてやらなければならなくなった。幸いにして脊髄だけがだめになっているのだけで、オシッコもウンチも自分の筋肉でできた。くるまいすにはおむつをして乗せた。おむつは大人用のものが大量に買い込んであった。1階の廊下はおむつが積み上げてあって通れなかった。おそらくママがバーゲンセールで安く売っていたのをまとめ買いしたのだろう。
 散歩していないときのチーコは1階のリビングの端っこで4畳半くらいを占有してゴロと寝ていた。それでも元気で、遊んでほしいときは、ワンワンよく鳴いていた。寝ているところには、毛布を引いてあって、その上に新聞紙を何枚も引いてあった。このときの家族はママと1才の長女と私とチーコであった。週末の夕方には三人と一匹でテレビを見る一家団欒のひとときがあった。チーコは部屋の中にいるときは、おむつはしていない。オシッコやウンチをしたときは下に引いてある新聞紙を丸めて捨てるのである。部屋の中でオシッコやウンチをするので、部屋の中がくさくなるように思えがちだが、小まめに世話をしていたのでそうでもなかった。でもウンチをしたときは、すぐに分かった。チーコが静かなのである。「チーコどうした!!Iと声を欠けると首をかしげるのである。そのうち「くっさ〜」という誰かの声が聞こえる。それもでかい。1kgはあったのでないかと思う。おもしろいこともわかった。ドッグフードの種類によってにおいがちがうのである。でもくさいのはくさい。良いにおいがするウンチがでるドッグフードがあると良いのだけれど。これは特許になるかもしれない。でも会社で申請するわけにもいかない。「良いにおいのウンチが出るドッグフードの製造方法について」って。会社を通じて申請すると「お前、あほか」で終わりである。
写真は、長女とチーコ
長女と一緒

第五話 おはよう
 朝、起きるとあいさつをしてくれた。ワンワン、おはよう!!。今、家にいるGomaは起きる前からあいさつしてくれる。5時ころになると「ワンワン(おはよう)」とうるさいのである。それも鳴くだけでなくて、みんな寝ている部屋のふすまを足でガリガリするものだから、ふすまがボロボロである。
 チーコは動けないので、朝、起きてそばにいくと前足をバタバタさせて朝のあいさつをする。確実にウンコがしてある。いつ見てもでかい。健康な証拠である。
 今の家を立てているときは家の横にあるプレハブを仮住まいとしていた時期があった。6畳一間でママと私とチーコが同居していたのである。せまいことせまいこと、チーコが半分場所を取っていた。ここの「おはよう」は大変であった。朝、臭い匂いが目覚まし変わりである。左にチーコがいて、真ん中が私で、右側がママである。チーコも寝返りを打ちたいのか、前足でグルっと回るのである。だから朝起きるとチーコの尻が私の目の前にあることもよくあった。そこにウンチが・・・・。寝ていられる訳がない。一気に外に飛び出して深呼吸。「死ぬかと思った!!」。
それも一カ月ほどで新宅が完成したのでそちらに移った。
第六話 おかえり
 当時は会社は千葉県の幕張にあった。会社への出勤は近くのJRの駅前に駐車場を借りて駅まで自家用車通勤していた。このころは忙しかった。最終の電車で帰ってくるので家に帰るのが1時というのが日常的であった。不足する睡眠時間は移動中にとっていた。
 チーコは車の音をしっかり憶えているのだろう、夜中の1時だというのに車を車庫に入れる前から、ワンワン、おかえり!!と鳴いている。幸いにしてこの辺では、犬を飼っている家が7割くらい。だからいつもどこかの犬が鳴いているので、別に誰からも文句は言われない。家族はみんな熟睡中である。誰も起きていない。朝の5時過ぎに起きてこの時間まで毎日、続けていたら、とても体が持たないので「先に寝てていいよ!!」と言ってあった。忘れていたが、私がママの住んでいるつくば市に引っ越しをしてきた。だから隣近所はママの昔からの知り合いである。このころよく言われたらしい。「あんたとこのお父さん、何してんの。朝一番で出掛けて行って深夜帰ってくる。」なんか悪いことでもしているような感じに聞こえた。このころは人工衛星の追跡管制システム」の開発で忙しかったのだ。
 家の中に入ると豆球だけ点けた薄暗い部屋でチーコが待っている。毎日、毎日、飽きもせずに、いつもものすごくうれしいようである。前足をバタバタさせて「早くこっちにきてくれ!!」とさわいでいる。明かりを付けて冷蔵庫から、ビールを取り出してチーコの頭を撫ぜながら話をする「今日はどこに散歩にいったんや」とか「今日は何もなかったか」とか。チーコはその都度、ワンとか、クゥ〜ンとか、いちいち返事をするのである。分かっているのか分かっていないのかはよく分からない。チーコは氷をガリガリ、音立てて食べるのが好きである。ビールを飲みながらチーコには氷をやる。元気に音を立てて食べている。「お休み!!」と行って、頭をなでてやると「フ〜」と言って持ち上げていた頭を横にして睡眠モードに入る。この状況が毎日の「おかえり」のパターンである。
第七話 ひがのや
 ひがのやは、今まで何度か登場しているが、ここもチーコの遊び場である。平日は近所のおばあさんの憩いの場を、土曜日、日曜日は小中学校の生徒のたまり場である。小中学生の自転車が道路一杯に広がって、車が通れない状況になる。もっともこの道はあまり車も通らないので大した問題でもないのだけれど。
 おばあさんには「お〜チーコ元気だったか」とを頭撫でてもらったり、憩いの団欒の場で食べていたものをもらったりして。小中学校の生徒とは、鬼ごっこをしたりして、ボールを投げてそれを追っかけてみたりと大騒ぎである。ここで最初に紹介した四綸くるまいすに問題が発生した。前輪は360度、行きたい方向に自由に向くが、後輪は真っすぐにしか行かないようになっている。車輪の径が大きいので道路の設置面積は少なく摩擦等の問題はないのであるが、急に方向転換しようとすると強烈なアンダーステアが出る。要は曲がれないのである。車でも同じであるが横転してしまう。これに対処するには、前輪の接地面積を大きくするか、遠心力の働く方の車体を高くし、反対側を低くするような機構が必要である。いろいろ考えたがジャイロを使って姿勢検知までしなければならないのでやめた。止む無くこどもたちに言った。「急に方向転換するな!!」、「チーコは急には曲がれない」
今も昔も変わらないひがのやです。
ひがのや

第八話 毎日の散歩
 大雨の日以外は散歩が日課である。家の回りには人家が集まっているが、そこから少し離れれば畑とたんぼである。その間を農道が走っている。農道と言っても大型機械が普通なので幅5メートルくらいの鋪装道路である。以前は農薬をヘリコプターで散布するために道路にヘリコプターの着陸するためのマークもあった。さすがに現在は環境破壊につながるので、そのようなことはやっていない。
 一日一回はこの農道を散歩した。平日はママが週末は私が。車いすに乗せるときが結構大変であった。リビングの窓を空けて車いすを窓の下に置く。チーコは30kg以上あったので抱き上げれない。まず、毛布の端を引っ張って窓際までチーコを持ってきて、上半身を抱き抱え、前足を地面に付ける。その後、下半身を持ち上げ、車いすに乗せるのである。ママも腕が痛いとか、腰が痛いとか、よく言っていた。毎日の散歩の距離は4kmくらい1時間程度。車いすということもあって首輪を付けずに歩いていた。チーコが先にいくこともあるし、後からついてくることもある。先に行った場合でも待っている。後ろからついてくる場合、途中で段差で進めなくなってしまうこともある。その場合は後ろから押してやる。でも他の犬を見ると興奮するようである。朝方とか夕方は、犬を散歩している人が多い。どこの家でも犬を飼っている。犬がいない家の方がめずらしい。散歩中にもいろいろな犬とすれ違うものだから大変である。やはり犬にも一目ぼれがあるのかもしれない。チーコの一目ぼれは一杯あった。気が多いのか、浮気性なのか、きまぐれか、誰でも良いのか、よくわからないが、すれ違うときに、近よっていくか、「ワンワン!!」とあいさつをするかのどちらかである。あまりけんかをするようなことはなかったと思う。軟派のチーコであった。
第九話 友達のしろ
 散歩にいくときは近所に飼い犬である、しろが一緒だった。飼い犬と言っても放し飼いにしてあって、みんなからも可愛がられていたように思う。しろは散歩のコースを先導するように先頭を歩いていた。結構、年を取っていたように思えた。見かけはたよりない、感じの犬であったが、年をとっている分だけ気持ちのやさしい犬であった。散歩のときは、毎日、一緒に歩くのでコースも熟知していた。先頭を歩いても、時々振り返り、チーコが付いてきているかどうかを確認する。できた犬であった。年寄りのせいか、チーコと一緒におおさわぎするということではなく、少し離れたところで、いつもチーコを見守っていたように思う。
友だちのしろ

第十話 夏の夕涼み
 真夏の暑いときは大変である。チーコはコリー犬なので、毛がふさふさとしており、真夏は家の中にいてもハア〜ハア〜言っている。止む無くエアコンのスイッチを入れる。日中もチーコのためのエアコンが入っている状態であった。おかげで電気代の高いこと高いこと、びっくりするような金額になってしまう。真夏日でも夕方になると、風が出てきて涼しくなることもある。そのときは、庭にビニールシートを出して夕涼みである。この写真の横では子供がビニールプールに水を入れて遊んでいたように思う。その子供も今は高校生である。
夕涼み

第十一話 洞峰(どうほう)公園
 久しぶりにチーコと一緒に家族そろって洞峰公園にハイキングにいった。洞峰公園はチーコが交通事故にあって下半身付随になった公園である。チーコはおそらく憶えていないだろう。距離は家から4kmくらいで1時間くらいかけてゆっくりとガラガラ音を立てながら行った。
 公園では芝生の上にビニールシートを敷いて家で作ってきた、おにぎりとかからあげとかを、みんなで昼飯として食べた。チーコも芝生で横になっていてからあげを食べたりとうれしそうであった。
 昼食後は公園をひとまわりした。この公園は週末は、家族連れで結構にぎやかである。自然がいっぱいあるし、フィールドアスレチックもあるし、お金がかからず家族で楽しめる。その中を家族でチーコを連れて歩いた。ものめずらしいのか、結構、回りからの視線も多く集まった。また、声をかけてくれる人も多くいた。「かわいそうに、どうしたの!!」とか。中には涙を流しているおばさんもいた。何か深い事情があるのかもしれない。でも、チーコから見るとそんなことは、どうでもよくて楽しくてしょうがない、という感じで、はしゃいでいる。公園ではしゃぎすぎたこともあって、帰りはチーコも辛かったようだ。足が痛くなってきたようで、帰り道では時々立ち止まってしまう。車いすも重く感じたのだろう。車いすを後ろから押してやりながら、ゆっくりと帰路を進んだ。この日に歩いた距離は10kmくらい。毎日の散歩が4kmだから、ちょっときつかったようである。翌日も足が痛かったようで、散歩も行きたくないようであった。
第十二話 骨肉腫
 洞峰公園を散歩した疲れもなくなり、いつものように元気に散歩したり、ひがのやで遊んでいた。それから数カ月立ったころ、散歩していると左前足が痛いのか、ビッコをひくようになった。ちょっと関節が熱を持っているようだった。その後、次第に関節が腫れ上がってきて散歩もできなくなってしまった。獣医に連れていくと骨肉腫との診断であった。骨肉腫は骨の中にがん細胞が認められる病気で人間では思春期と若い成人に発生するとのことである。治療は足を切断するしかないとのこと。一旦は家に帰って、相談することにした。いつもチーコの相手してもらっていた、となり近所のおばさんたちからも、いろいろな意見を頂いた。「下半身が動かなくて前足まで切断するのはかわいそう。いっそのこと安楽死させてやった方が良いのでは」。大半の意見はこのようなものであった。でもチーコは足が痛いようだが、それ以外はいたって元気である。ママと相談した結果、前足を切断することにした。一週間程度入院して帰ってきた。左前足は関節の上からきれいになくなっていた。最初は足があるつもりで、気持ちだけは前足を出して、頭を持ち上げようとするのだがうまくいかない。それでも一週間もすると右の前足だけでうまく頭を持ち上げられるようになった。あいかわらず元気である。でも散歩にはいけなくなってしまった。せいぜい天気が良くて涼しい日には、庭にビニールシートを引いて、外の空気を吸わしてやることくらいしかできなくなった。
退院してきた直後のチーコ
前足も切断したチーコ

第十三話 床擦れ
 私のおじいさんが脳溢血で倒れて寝たきりになったのは40年以上前の話である。時代は池田勇人の所得倍増政策の時代。当時は入院すると言ってもまともな病院もなかったような気がする。それに貧乏だった。隣近所にはテレビがあった。うちでテレビを買ったのは東京オリンピックが終わったあとで昭和40年代になってからだったと思う。でも隣の家に行ってよく見せてもらったので、名犬ラッシーもローンレンジャもライフルマンも記憶にある。
 おじいさんはふとんに寝たきりの生活で、時々、近くのお医者さんに往診に来てもらっていた。床擦れ(とこずれ)になった。同じ姿勢でずーっと寝ていると、汗とかで皮膚が湿気を帯び、炎症を起こしてくるのである。一面、真っ赤で痛々しい。母が時々、おじいさんを、ごろ、と転がして姿勢を変えるのだが重いし、こまめにはできない。このときは介護保険もないしヘルパーさんもいなかったので、これを世話をしていた母も大変だったと思っている。
 チーコも同じようになってきた。もう散歩にもいけない。毎日、窓から外を眺めているだけの生活になってしまった。部屋の中でず〜と寝ているだけの生活になってしまった。そうなると、床擦れが起きる。毛があるから大丈夫なように思うがそうではない。毛が薄くなってきて皮膚が見えてくる。上半身は元気なので、ぐるぐると動き回るので、余計に摩擦で毛がすりきれてくるのかもしれない。そのうち赤くなってきて炎症を起こす。この状況になってから、自分からは寝返りをうてないので、こまめにひっくり返してやることがママの日課になった。

第十四話 肺ガンから永遠に
 チーコは寝たきりなってからだんだん元気がなくなってきた。気持ちだけは、うれしいときはうれしいと体で一杯で表現したいのだがなかなかである。そのうち食欲もなくなってきた。のどが渇くのか、水とか氷が好きである。毎日、帰ってくる車の音を聞くと「ワンワン」とお帰りのあいさつをするのだが、それもなくなった。帰って顔を出すと上半身を上げてこちらを見ている。
 病院に連れていくと診断の結果、肺ガンと診断された。骨肉腫のガン細胞が転移したようである。肺だけではなく全身に転移しているだろうとのことであった。全体的に手遅れの感もあった。人間と同様に放射線治療とかも考えられるが、そこまでは無理である。
 7月5日の深夜に帰ってくると異常な状態であった。全身でゼイゼイと苦しそうであった。ママは寝ていたが、起こしに行った。氷が好きなので氷をやると氷を食べた。このときは、すでに運動神経の制御が利かなくなっていたのか、指を噛まれ血が出た。30分も頭をなでてやっているうちに、全身がピクッと痙攣して、息が止まった。私とママが最期を見守った。私が帰るまで生きていようとがんばっていたのかも知れない。
 わずか3年くらいの短い間ではあったが、一生懸命にチーコはがんばって生きた。多くの人に愛され多くの人に勇気を与えてきた。私とママにとっては最初のこどもだったような気がする。このことを何年も立った、こどもたちの753の会場(*)でスピーチをしたとき、事情を知っている近所の人たちの涙を誘った。翌日ペットの火葬場に運んで火葬してもらい、ペットの墓に骨を入れてきた。帰ってきて台所でママと話をしているとき、突然、ママが私の胸に顔をうずめて、声を上げて泣きだした。私も同じ気持ちであった。死んでからだいぶ、時間がたっていたが、すぐには実感がわかなかったようだ。火葬場に行って骨を墓に収めて実感がわいてきたのだろう。「生きている者はいつか死ぬんだから。チーコは幸せだった!!」と慰めながら。ママが泣いたのは知り合って、このときの1回だけである。普段のママはすごく強いし、頼もしいのである。しばらくは犬を飼わなかったが、現在はMoguとGomaが元気に庭で遊んでいる。


*:茨城県の七五三:結婚式のようにホテルなどの結婚式会場を借りて近所の人を集めて盛大に行う。お色直しもあって結婚式なみの費用がかかる。

一覧へ